バンド遍歴 3

 2000.05.05

いえーい、やっつです。おお、初めて連作モノが「第3弾」まで突入したぞい。というわけで、前回の続きである。前回の終わりは

で、当然のことながら、そうしたオフで知り合った人達でパーマネントなバンドを組むことも多かった。そんでもってオレも、そのパソ通仲間に誘われバンドを結成した。この続きは「バンド遍歴 3」にて。お楽しみに。

で終わったので、この続きだ。で、誘われたのは、主にアメリカンロックを中心としたコピーバンドで、リーダーでありボーカルだったのが「よんよん」(パソ通なので当然ハンドルネームである)、ギターが「Seed」さん、ドラムが「★げんま★」さん、キーボードが「Bun2」(ぶんぶん)さん、とオレの5人編成であった。コピーした曲は、ゲイリームーアとかナイトレンジャーとかイットバイツとかスティーブヴァイとか諸々であった。しかし、 ゲイリームーアもイットバイツもアメリカンじゃないですな(笑)。そして、「よんよん」はそのまま読むと「44」でもあるので、それを生かした名前にしようということでバンド名は「44MagnificWorld」となった。これはまず略称が先に決まった珍しいバンド名だ。当時ニフティのクローズドな会議室サービスで「ホームパーティ」というのがあり(今はパティオに移行して無くなった筈)、ここでメンバーだけで会話が出来るのであるが、仮称44バンドと言っていた我々も、さすがに44バンドじゃ、あれだな、ということで決めにかかったわけであるが、このホームパーティにて誰とは言えないが名前に「★」が入っている人が(笑)、「44マグワルがいい」と発言してしまい、「え~ 女性が2人もいるバンドで、そんなはしたない名前ってアリか~?」と言われつつもなぜか代替案も出ず(笑)、よんよんが何となく合いそうな単語を見つけて「44MagnificWorld」になったのである。オレにとって2回目のコピーバンドであったが、「ベースを弾きながらコーラスをとる」という作業に楽しさを見出せたのが一番の収穫であったように思う。そして、大事件として、オレはこのバンドをやっている間に結婚をした。ホームパーティに自分で「今付き合ってる彼女と結婚することになりそうです」って書いた記憶があるもんな。ヒューヒュー! って自分を冷やかすなよ、しかもそんな古~い言い方で(笑)。そんなわけで、95年末から始まって、97年の夏まで続いたバンドであったが、キーボードの脱退により空中分解のような形でこのバンドは終わってしまった。バンドというものは、やったことの無い人には分からない感覚かも知れないが、演奏云々だけではなく、人間関係でのつながりもとっても重要であり、恐らくこの時のメンバーの心境として、「また、よく知らない人に入ってもらっても前みたいな楽しい活動は出来ないだろう」という心理があったんじゃないかなぁ、という気もする。違うかも知れないけど(笑)。ここで、過去の活動を思いだすため、メールソフトを立ち上げてみた。すると97年は色々やっていたことが判明した。3月にはやはりパソ通仲間の「miny」さんから誘われて、ある大学の音楽サークルのライブになんとギターで出演している(笑)。そして、6月頃からは、自分で書いたオリジナル曲を演奏する「YS11」(わいえすじゅういち。日本が誇る超かっちょいい旅客機の名前である)というバンドを画策している。YS11は、ドラムに「pork!」さん、ギターに「へぶん」さんという2人のパソ通の人、ボーカルが大学時代の先輩「奈加」さん、キーボードにそのサークルで知りあった「maya」さんを迎えた変則メンバーでスタートしたものの、スタジオに1度入っただけで終わった(笑)。いや、正式にメンバーに「終わりにした」とは告げてないんですけど、なんだろう、自分の曲を演奏するのってこんなにも恥ずかしいのか、って感じでダメでした。打ち込みをやれる環境があれば、いつか作品に残したいですけど。そして、これ以降バンド活動は無くなり、例のサークルのライブで呼ばれればベースを弾く、という感じが続いた。バンドが無いと、ベースを弾く機会も減り、腕も落ちてしまうということで、98年にはベースのレッスンにも通いだした。そして、99年の終わり頃にベースを教わっている福田先生から「オレが誘われたんだけど、ちょっと出来ないからやっつやらない?」ということでスクリューモスというバンドのデモテープを受け取った。そのテープには2曲入っており、ちょっと懐かしさを覚える曲調と歌詞に驚きを受けながらも、「久々にこういうロックをやりたいな~」と思い、オーディションを受けることになった。オーディションといっても、机を並べた審査員の前で水着とかになるわけでもなく、ギターのHUSH吉田氏のレッスンルームで軽く2人きりのセッションをやり、その後メンバー全員で小手指にあるスタジオに入ってテープの曲やその場でリフっぽいのを弾いてジャムって、一応皆さん了承してくれて(笑)、それで正式に加入したわけである。そのことはここにも書いてあるのだが、そこに書いてあるスタジオは、喫煙がばれて(爆笑)今は使用禁止にされてしまっている。オレは吸ってませんよ、念の為。そんな感じで、学生時代に大宮フリークスというライブハウスがあった時にやったジェフベックのコピーバンドも含めると(すげー強引)、スクリューモスでちょうど10個目のバンドである。おお、めでたい。そんなわけで、これからもベーシストとしてのやっつもよろしくお願いいたします。