自他共に

1998.05.04

自他共に認めるなになに、って言葉があるね。自他共に認めるキャンプの達人です、とか、自他共に認めるパチンコ狂で、なんて。そりゃ、そうだわね、好きでやってることだから、自分だって認めてるし、他人だって認めるでしょう。逆に、あまり自慢出来ない恥ずべき自分、例えば、自他共に認める遅刻魔なんです、とも言いますかね。本当は悪いことなんだけど、どうしても直らない性癖を、照れながら紹介している。自他共に認める、って前置きすることで言い訳めいたフレーズになっているようだけれども。

しかし、この『なになに』のところに、天性の素質、しかもかなりの褒めことばが入ってくるとちと厄介なんである。自他の自、のところがまずいんだ。「自分でも分かっている」ってことだからね。自分でもよく分かっている、私の素晴らしいところ。ってなわけですよ。ってことはね、自分さえ認めてれば、たとえ他人が認めていなくとも「自他共に認める」って言ってしまえばいいのかな、なんて気がしてくるでしょ。その日初対面の人に向かって、「オレって、自他共に認めるハンサムモテモテボーイなんです。」って真顔で言ってやろう。相手は一瞬「なんだこいつは」って思うだろうが、でも瞬時に「でも今、自他共に認める、って言ったよな。なら信じていいかも」なんてコロリと騙される。いや、本当 ですよ。で、こういった事実を踏まえて、今日のお話。多分、こんなことをここに書くと本人は怒り狂うだろうけど、うちのカミさん、 「自他共に認めるアイドル顔」なんだよね。本人が本当にアイドル顔なのかどうかは、ここでは語るつもりは無いけど、なぜなら顔が美しいとか不細工ってのは相対的なものだし、人によって偏りがあるから、どっちみち決着がつく類の話じゃない。ここで言いたいのは、冒頭の、自他の自の部分ね。つまり本人が自分で分かってる、自分の顔の良さ、に注目したいんだ。これってどうしてなんだろう。たとえば、カミさんに向かって「たま~に女優の誰々に似て見える時があるぞ」なんて言うと、カミさんは、はぁ~っと、いかにも「いつになったら、こんなセリフを吐かずにすむのかしら、めんどくさいったらありゃしない」といった風に深いため息をつきながら、こう言うのだ。「だから言ってるじゃない、私は究極のアイドル顔だって」。咄嗟にオレのアタマの中でそのフレーズが反復される。「きゅ・う・きょ・く・の・あ・い・ど・る・が・お」。その一文字一文字に間違いの無いことを確認すると、今度は漢字への変換が始まる。「究極の」「アイドル」「顔」。いったい何をもって「究極の」と言えるのか?どうやら、これは言い換えると「様々なタレントに似ていると言われる」ところから来ているらしい。それも色々な知人から言われるものだから、彼女のアタマではこういう三段論法が成り立つらしい。「色々な人がアイドルの~~に似てると私に言う」→「その~~が誰かは、人によって様々である」→「よって私は究極のアイドル顔である」。これを暴論と言わずして何が暴論か!ってなもんである。また、彼女がよく言うセリフで、「私は痩せていれば、アイドルになっていた」というのがある。語尾が「なっていたはずだ」とか、「なっていたのではないか」といった推論では決してなく、「なっていた」と断言しているところが素晴らしい。つい「ああ、そうだよね」と頷いてしまうではないか。しかし、この言葉は最初に「痩せていれば」という、うちのカミさんにとっては永遠に解決不能な弱点を突いていることによって、「だから、アイドルになる素質を持っていたのに、不幸にもアイドルになれなかった」という本当なら存在しないバカバカしい幻想をまるで事実かのように思わせるのと同時に、見れば一目瞭然の「痩せていない」現実をさらりと肯定することで、この言葉に強烈なリアリティを持たせているのだ。ただ、ここでひとつ反論が成り立つ。それは、自他の他、の部分なんじゃないの?人が言うからだんだんそう思えてきたんじゃないの?という、自分で認めてるかどうかは分からない、という反論だ。それなら、こういった場合はどうだろう。カミさんがオレの指定であるところの、「イトーヨーカドーの漬物売り場で売ってるキムチ」を買うとする。オレ、このキムチをつまみに食前のビールを飲るのが、今一番お気に入りで。で、「今日はオバちゃん、たくさんオマケしてくれたのよ」って言うから、軽く「あまりに可愛いからじゃないの?」って言うと、「そうよね、こんなに愛くるしい顔してるんだから、誰だってサービスしちゃうわよ」と、こうである。彼女は、車を運転するが、道を走っていて列に割り込む必要がある時に、他人が譲ってくれるのは、彼女の可愛さに参ってしまうからだそうだ。普通に考えたら、誰だって経験する「ちょっといいこと」をすべて、自分の顔の良さに帰結させてしまう、この強烈な思い込みこそ「自他共に認める」要素なのではなかろうか?つまり、オレが自他共に認めるハンサムモテモテボーイである為には、「あっ、あんな可愛い女と目があっちゃったぞ。オレってハンサムモテモテボーイ」とか、「あっ、いつもここの信号赤でつかまるのに、今日は青だぜー オレってハンサムモテモテボーイ」とか、「卵割ったら黄身が二つだ~ オレってハンサムモテモテボーイ」という風に考えていさえすればいいわけだ。これで自他の自は解決した。残るは、自他の他のところであるが、これも心配ない。カミさんを説き伏せるか、催眠術にかけるか、金品で釣るかして、騙せばいい。カミさんだってもとは他人だ!かように、「自他共に認める」という言葉は便利だ。というお話でした。ひとつ、勘違いして欲しくないことがあるんだけど、オレ自身は、そりゃあ自分が選んだ妻だから、当然、究極のアイドル顔かなぁと思うし、痩せていればアイドルだったかもなぁと思うし、キムチをサービスしてもらえるほど愛くるしいと思ってますので、そのへんお間違えなきよう。