バンド遍歴 2

 2000.04.23

もうすぐゴールデンウイークということで、世の中浮足立ってるわけですが、確か昨年のやっつうえぶにて「世の中全員ゴールデンなわけじゃねぇ」とか書いた記憶がある。別にオレ的には楽しい休暇だったとしても、一応、全世界へ向けて発信されているやっつうえぶ(笑)ですから、ワールドワイドに物事考えて書かないと、いかんわけよね。でも、これだけははっきり言わせてもらうと、オレだけは誰よりもいい休暇にしたい、と思ってるのも確かなんだな(笑)。だから、「渋滞すんのわかりきってんのに、行楽地出かけてこいつらバカか」とかさ(笑)、「この御時世に、海外なんか行ってる場合かアホめ」とか、色々思うわけですな。ひがみとかじゃぁ無いんだよ、全っ然(笑)。

さあ、そんな話題とは全く関係なく、今回のテーマは以前お送りした「バンド遍歴」の第2弾である。前回は大学までだったので、今回は卒業後ということである。卒業後ついた仕事はよく書いてるがCMの制作会社。つまり広告代理店の下請け業的な仕事のため(厳密には違うけどな)、バンドやる暇など全く無し。だっていつ休めるかすらよくわからんし、帰る時間もその日によってまちまちだし、仕事終わらなくて会社に泊まり込みで作業してると午前2時だっちゅうのに代理店から電話かかってくるし(笑)、そんな状況でやれるバンドなんて無いでしょ。なので、実質この会社をやめるまでの1年はほとんど楽器にも触らない状況だった。これはさすがにス トレスが溜った。そして、「もう今月から会社に行かなくていいんだ」となった1994年の1月を迎えた数日後(本当に松の内だった気がする)、なんか自分にお祝いをしたくなって、ついつい秋葉原のリボレで5弦ベースを買ってしまった。本当はそんなもん買ってる場合じゃないのは、自分が一番よくわかっているのだが、とにかく憂さを晴らしたくて買った。まだなんとなく東京にいたかったので、学生時代にバイトしていたレンタカー屋にて再度雇ってもらい、フリーター生活が始まった。さあ、ベースもあるし、時間は融通のきく仕事だし、いつでもバンドやれるぞ、となったところへ、いつごろだかはちょっと忘れてしまったが、学生時代に一緒にバンドを組んでいたドラマーだちん君(現在フリーのローディー業)からバンドのお誘いがあった。丁度、大学を休学してアメリカのMIにギター修業しに行っていた久保田(現在プロミュージシャン)が帰国したので、バンドを組まないか?ということだった。3人に加えて一つ下の後輩にあたるボーカルじゅん(現在デザイナー)とキーボードかずお(現在写真屋のオヤジ)が揃い、5人編成のバンドが完成した。この5人というのは、一度学園祭にてミュージカル研究会(練習の際に先輩達が「もっと笑って!!」としごくので有名である)と野外ステージで共演した時のメンバーであり、当時、「この面子でバンドやったら楽しいだろうなぁ」とみんなが思ったのが社会人になってからだちん君のおかげで実現したのである。このバンドの名前を決定する時に江原町あたりのガストで長時間に渡って論議したのだが、これははっきり言って「あんなに腹を抱えて笑ったのは後にも先にもあの一度きりではないか」っつーぐらい笑った。別に真夜中ってわけじゃないのに(笑)。色々候補が挙がった中で勝ったのはオレが出した「ワンダフル家族」だった。決まるとどうってことないもんである(笑)。しかし、当時まだアサヒの缶コーヒーワンダも、TBSの番組「ワンダフル」も始まっていなかった。どう考えてもオレ達のバンド名からパクられたとしか思えない。これが有名税ってやつか(違うよ、きっと)。とにかくワンダフル家族はスタートして、ライブも一回か二回やった。よく覚えてなくてすまん(笑)。そうこうするうちに、オレは2つ目の会社であるデザイン会社(の営業)に就職して、スタジオにワイシャツ姿で登場する度に笑われ(笑)、また、久保田の別のバンドが軌道に乗り出したこともあって、なんとなくフェイドアウトしてしまった。結構いい曲もあったのに残念である。95年の夏、オレにとってちょっとした事件だったと言えるのがパソコンの購入だろう。会社で使っていたMACを家にも欲しいなあ、と思い、当時一番お買い得であったLC630というやつを買った。今でも使っている(笑)。今コンピュータのチップは1ギガヘルツ時代を迎え、激安系のパソコンにしても500メガヘルツだのが普通に乗っているけれども、オレのはMACだからペンティアムとかでは無くて、モトローラ68040LCで、そういう周波数って意味ではなんと33メガヘルツである。カミさんのパワーマックが66である(笑)。ハードディスクはLC630であれば十分、と当時思ったけど350メガバイトである。カミさんのはちと古く250メガバイトなので、オレのほうが勝っているとは言うものの、超低レベルの次元である(笑)。話がそれたが、オレのパソコンの購入動機は「パソコン通信やりたい」だったので、購入と同時にニフティサーブに入会し、パソ通を始めたのである。同時にインターネットも少し市民権を得はじめていたので、「ちょっとやってみよ」と思ってベッコアメなるプロバイダに入会。つまりパソ通とインターネットをほぼ同時に始めたのだ。当然ロック系のフォーラムにハマり、いつしかオフ会(正確にはオフライン・ミーティング。オンラインで会ってる人達が、実際に会うという意味でオフラインである。おそらく元々はアマチュア無線の世界の用語だと思う)にも参加するようになった。そのロック系フォーラムFROCKでは、当時セッションオフというのが盛んだった。電子会議室にてセッションを告知。そのテーマに沿って「この曲やりたい!」と手を挙げ、募集パートが揃うと「ロン」として、当日演奏出来る。パソ通ってのは、いろんな職種の人がいろんな土地からアクセスしている為、原則「練習一切無しの当日一発合わせ」である。基本的には既成の曲のコピーで、これとは別に「深夜セッション」なるオフでは、その場で思いついた曲などを楽しんでいた。で、当然のことながら、そうしたオフで知り合った人達でパーマネントなバンドを組むことも多かった。そんでもってオレも、そのパソ通仲間に誘われバンドを結成した。この続きは「バンド遍歴 3」にて。お楽しみに。