点の線

1999.08.16

前回、ここで「岩槻のジョナサンによく行く」というようなことを書いたと思う。しかし、今朝ほど家を出るときに「昼飯食う金がないから頂戴」と頼んだところ、千円札とデニーズの500円食事券を渡されたため、やむなく岩槻(埼玉県・国道16号沿い)のデニーズで遅い昼飯を食べたわけだが、なんと、そこでオレが目撃したのはバンドメンバーである冬木啓介くん(仮名・世田谷区在住・キーボード担当)が彼女と一緒にいるところだった!(笑)。う~ん、どうして一昨日の金曜日に自由ケ丘で一緒にスタジオ入っていた人間が、今度は岩槻のデニーズで再会するのか全く意味不明だが(笑)、面白いなぁ。もしもオレがデニーズ食事券を持っていなかったら、ジョナサンに入っていたわけだし。しかし、今日食った新メニュー「ファイヤーキムチ丼キュウリ抜き」はえらいまずさだった。ちょっといくらなんでも、エスニック過ぎないか、あれは。まあいいですけど。

さて、今回のテーマは点線である。よく考えてみて下さいよ、点だけど、線なんですよ。ま、長さからいって点でもないんだけどさ(笑)、でも、つながった線ではなく、点が線状に集合していて、「点線」とは、よく考えたもんだよね。人はどんなときに点線を使用するのであろうか。まず思い浮かぶのは、あれだ、たとえば立方体を2次元で描くとき、裏に回った、つまりその角度からは見えない辺を描くときに、その部分だけ点線にする。すると、実際目には見えないけれど確実に存在することが分かっているものは点線、つまり、実線よりは少し弱い線で表現出来るということだろうか。しかし、なぜ、実線ではいけないのだろうか。いや、もちろんちょっと薄めの実線にしても充分絵的には理解できるだろうが、点線の説得力にはほど遠い。ここがオレが言わんとする点線の魅力だ。それは「ちょっと不安げな線」なのだ。なんだか弱々しくて頼りないけど、なんとか線の格好を保っている、それが点線の魅力なのである。地図などに、これから目指すルートを書き込む時、予定ルートを点線で書いたりしないだろうか。これは実線でもいいかも知れないが、個人的には点線をお奨めしたい。どうしてか。それは予定ルートはあくまで予定であって、未来のことであるからだ。つまり、「多分こう行くだろうけど変更も有り得る」というどっちつかずの線は点線にするべきなのだ。後で、実際そのルートをたどったならば、その時点で実線をひけばいいのである。そう、点線は、状況次第で実線にも昇格出来る、便利な線であることがお分かりだろう。実線は点線にはなれないのである。また、点線はアイキャッチにも一役買うことがある。チャートでもなんでもいい、何かしら図が書かれているところに、注釈を加える時に、ついポッポッポッポと点線を引っ張ってコメントを書いたりしないだろうか。これは、実線と文字ばかりの所へ普通に線を引いたのでは目立たない、つまり、非日常としての点線を描くことにより、見る人の視線を誘導したいという衝動の表れだ。なぜ点線が非日常なのだろうか。それは点線が自然には出来ないものだからである。糸をピンと張れば実線になる。もちろん黒と白で塗り分けるなどすれば見た目は点線になるだろうが、そういうことではなくて、点線が「点が線状に連なっている」というその状況はそれなりの意図が無ければ、発生しないと思うのである。つまり、「点線には必ず意図がある」ということだ。道路を走っていると、片側二車線の間を分ける線は点線になっている。これは、どちらでも車線変更が可能ということだ。車線変更が禁止のところは黄色の実線になっている。もちろん、よく使う記号だから、なるべくペンキを節約出来るように、点線にしているのかも知れないが、この点線は明らかに「この線の左右どちらに動いてもいいんですよ」という意味を指し示しており、点線が元来持つあやふやさを巧みに使っている例ではなかろうか。話はそれるが、オレのメールの書き出しは必ず「—–>○○さん」と相手を呼びかけてから始まる。これは「—–>」の部分を「やじるし」という読みで単語登録しておいて、すぐ呼び出せるようにしているが、この点線にも実は意味がある。この点線を使った矢印は、電子メールの時のみ使うだけで、普通の手紙には当たり前だが使わない。電子メールが、送り先のパソコンにいピピッと届く、その様を演出しているのが「—–>」なのである。そんなわけで、これからは点線の持つ魅力や特性に充分気をつけて使っていただきたいものである。