まる一年
「神は乗り越えられる者にしか試練を与えない」と言うが本当だろうか。
ちょうど一年前の12月26日、日曜日の夜7時25分に妻の佳代子がガンで亡くなった。享年34歳。18から付き合いはじめ、7年の交際を経て結婚したのに、10年も経たずに、子供を一人残して旅立ってしまった。病気が分かってからわずか4ヶ月。
通夜・葬儀をはじめ、様々な法事、役所の手続き、引越し、子供の卒園・入学と目まぐるしい一年だった。
我が人生で最も不幸な一年だったのだと思いたい。人生で訪れる全ての不幸が降りかかってきたのだというのなら、納得もしよう。
ガンは不幸だ。その家族も同時に不幸だ。「第二の患者」という言葉があるくらい。闘病中に治療方針などで対立した姉や兄とは未だにうまくいっていない。しかし、それも含めて神がオレに与えた試練だと思うしかない。いつになったらこの試練から解放されるのですか?と時々空を見上げては神様に尋ねるのだが、答えてはくれない。オレが自分で考えなければいけない。
ずっと思ってることがあって、それは、お願いだから佳代子を「かわいそう」と思って欲しくないという感情だ。
他人を「かわいそう」と思うのは、自分が強者であるからだ。ガンの人をかわいそうと思うのは、自分がガンではないからだ。
佳代子がやり残したであろうことは、たくさんあって、それは確かにかわいそうな事ではあるけれど、義理も含めた両親・兄夫婦と子供・夫・子供・親友たちに囲まれて、全く痛がらずに安らかに旅立っていったのは、人間として幸せなことであり、それが佳代子にとっては自然なことだったのだ。病気の苦労などを一言も言わなかったのも佳代子らしい。見事な死に様だった。佳代子はかわいそうな人間じゃない。お前ら(つーかオレもなんだが)凡人には到底出来ないような凄いことをやってたんだぜ、オレのカミさんは・・って今でも思ってます。
祐希はオレが守るから安らかに眠ってください。